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コラム

2016.12.7

親との関係 (北村婦美)

 私たち人間は幼少期から(ことによると胎生期から)、さまざまな人との関わりの中で育ってゆきます。その中でも多くの人にとって、初めて出会うおとな、自分の世話を主に担ってくれたおとな、「親代わり」の養育者もふくめた広い意味での「親」は、良くも悪くも心の中に特別の存在になって残ってゆくでしょう。

 私たちが来談者さんのお話をうかがう中で避けて通れないのは、そうしてその方の心の中に残った人物像が、今ももたらしている影響です。

 その影響は、ご自身に気づかれていてもいなくても―多くは心理療法を始めるまで細やかには検討されていませんが―、人の行動の端々にまで、ひとつのスタイルとなって「生きられて」います。

 ポジティブな面もネガティブな面も、比較的へだてなく受け入れてもらい成長した方のおうようさ、どこかしら安定した、自信の感覚。

 ぎゃくにネガティブな面を出しても、周囲にそれを受け入れられるゆとりや素地がなく、「とりあえず」生きていくのに都合の悪い心の事実はすべて胸にしまって成長せざるをえなかった方が身につけた、生きていくためのスタイル。それはあるときは完璧主義かもしれないし、ポリアンナイズム(ものごとの「よい面」だけを見て生きていく生き方)かもしれないし、そもそも人を頼りにすることを心の奥深くで不可能事と割り切って生きる、というスタイルかもしれません。

 ある時点まではそうしたスタイルが生きていくことに役立ってきたけれども、そのスタイルを続けてきたことによるある種の疲れから、これまでのあり方を振り返るために、私どものところにお話をしに来られるということがあると思います。

 今ご存命であってもなくても、会う機会が多くても少なくても、私たちの心には、人生の最初に関わってもらった大人の大きな影響が残ります。そのことは、何らかの事情で実際の育ちにほとんど関わってもらえなかった場合でも変わりません。いやむしろそうした場合こそ、空いた場所を埋める私たちの心のはたらきが生み出したイメージが、大きな役割を果たすということが起こります。

 心理療法でどの方のお話をうかがっていても、どこかの時点でその方の生い立ちや、生まれ育った環境に(それが家族という形で存在した場合も存在しなかった場合もありますが)、その方の気持ちが触れてゆかれる場面があると思います。それは当時のさまざまな出来事とともに、子どもであったご自身の、当時の思いをともなって想い起こされます。

 今おとなになった目で当時を見てゆくとき、子どもだった当時に自分の胸に焼き付いていた印象は新しい光で照らされ、別の視界が開けます。情緒は動き、心に新しいバランスがもたらされます。

 私の経験ではそれは、実際には静かなものであるように思います。映画やドラマでは変化をもたらし分水嶺となった「ある瞬間」が分かりやすく描かれたりしますが、実際の心理療法で起こる変化はもっとゆっくりと進み、ときどき前のおさらいを繰り返したりする中で、新しいものが次第に現れてくるといったものだと思います。

 そこで現れてくるものは果たして、完璧な親、完璧な自分、完璧な世界なのでしょうか?