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コラム

2017.5.31

聞く仕事 (北村婦美)

 かつてNHKの「クローズアップ現代」でキャスターを務められていた国谷裕子さんの著書、『キャスターという仕事』を読みました(岩波新書、2017)。報道の仕事で大切なこと、譲ってはならない姿勢についてはっきりと述べるとともに、ご自身がキャスターになられるまでの経緯や、仕事をする中で感じた難しさや失敗の体験についても正直に書かれており、報道という仕事の厳しさやそれに必要な勇気といったことを、等身大の国谷さんの歩みを語る中で伝えてくれる、よい本でした。
 けれども精神科医として一番興味深く読んだのは、インタビューについて語られている部分です。

 私はこれまで漠然と、報道番組のインタビューと精神科医が行う面接とはまったく違うもののように思っていました。けれども英語にすると同じinterviewです。そこにはやはり、共通する大事なことがあったのでした。
 国谷さんは、経済学者の内田義彦さんのエッセイから「肝要なのは聞こえてくるように聴くこと」であるという表現をひいて、相手の話の「細部に耳を傾けながら、その人全体から伝わるものを聞く、感じ取ることが大事」(p.130)だと、インタビュアーの仕事を続けるうちに次第に分かってきたといいます。これを読んで私は、深い感銘を受けました。精神科医が面接の基本として駆け出しの一年目に習うことと、ある意味でまったく同じなのです。

 精神分析の創始者として知られるジークムント・フロイトは、患者さんの語り(自由連想)に耳を傾ける精神科医の態度として「平等に注意を漂わせることfree froating attention」の必要を説きました。また、弟子の一人に宛てた手紙の中で、「ひとつの暗点に光をあてるために、あえて自分を盲目にしなければならないI have to blind myself artificially in order to focus all the light on one dark spot」とも書いています[いずれも引用者訳]。
 フロイトが残した言葉だけから、この聴き方(あるいは「聞き方」)が実際にどういうものであったかを直接に知ることはできません。言葉だけでは伝えようがないからです。しかしこれらの言葉には、いずれも「細部と全体」という要素が含まれていることが見て取れます(「注意」と「漂う」、「光」と「盲目」)。「細部を聴きながら同時に全体をとらえる聞き方をせよ」と、フロイトは言っているのです。

 振り返ると、患者さんの話に耳を傾けているとき、あるいは若い医師から患者さんについての相談を受けているとき、私が師事してきたベテランの精神科医たちは、一点のみにこだわることなく、すべてを聞き取っていたと思います。話に登場するそれぞれのものごとが、どう響き合い全体を形作っているかを聞き取っていたといってもいいでしょう。私はそういう姿を目の当たりにして、「精神科医の力とは面接の力だ」という強い印象を受けたところから研修を始めました。
 一朝一夕に身につくものではないけれど、それは精神科医にとって基本的に重要な力であり、たとえ1年に0.5㎜の進歩でもそのために努力を続けることには意味があると、そしてそれは人間に関わる知の骨太の源泉の一つに違いないと、今でも思っています。