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コラム

2017.7.28

心の中の「カイブツ」 (北村婦美)

 私たちの心の中には、人に見せられないだけでなく自分でも触れられないでいる荒々しい破壊的な気持ちや、恥ずかしい気持ち、持ち出せないでいる欲求、内心恐れている考えなどがしばしば眠っています。たいていの人は、それを黙って心にしまっているか、時にはその存在さえも自分で意識のできない場所に封じて生きているのではないでしょうか。
 そういうものは、言葉で吟味されることなく長年心の奥底にしまわれているうちにしばしば大きくふくれあがり、当人にも制御できない力を得て、自律的に動き出してしまうことがあります。たとえば荒々しく破壊的な気持ちは、恐怖や罪の意識とあいまってぐるぐると自己循環するうちに大きく成長し、ある種のグロテスクな怪物のイメージにまで育ってしまい、周囲への暴発や自分を傷つける行為として現れたり、逆にそういう自分を過度に縛るあまり、活力の枯渇として現れることがしばしばです。私たちセラピストには、来談者の方の中に棲んでいた恐ろしい「カイブツ」について、心理療法が一定の段階に進んだ頃に打ち明けていただくことがよくあります。
 ご本人はそのカイブツを、誰にも言えなかったくらい、とても恐れておられます。けれどもその恐ろしさは、ひょっとするとその言えないほどの体験をした当時の子どもの心で受け止めた恐怖や罪の色で彩られていて、大人になった今の心で見返してみると、必ずしも道理を越えるほどグロテスクなものではないかもしれません。またその当時の状況を落ち着いて点検し、それぞれの事実の結びつきの中に置いてみると、けっしてその方の「カイブツ」性を示唆するものではないことがほとんどです。子どもとして当然の欲求や元気が、周囲に思わぬ反応や結果をもたらしたために恐れられ、もう二度と出てこないようにと封じ込められた結果、カイブツにまで育ってしまったと思われることも多いのです。

 私たちの心の世界は、私たち自身が意識しないときにも独自のダイナミズムで動いており、封じ込められたイメージが自己増殖し、思わぬ影響をふるうことがあります。そういうとき、自分にとってはカイブツとしか思えないでいたそれに、来談者の方がセラピストとともに言葉で触っていくうちに、それは消化できるものになり、語れるものになり、超自然的なほど恐ろしい力をふるうものではなくなってゆきます。もちろん一足飛びの仕事ではありません。けれどもそれは、一生変わらないものではなく、ゆっくりとでも変えうるものなのです。