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コラム

2018.2.28

くりかえしの意味 (北村婦美)

それまで経験したことがない事柄に出会うとシャルコーがいつも行うのは、まずそれを何度も一から念入りに眺め、来る日も来る日もその印象を強めていくことである。そうすると、しまいには突然ああこれはそういうことだったのだと、その事柄が理解できるようになる。

(S. フロイト「シャルコー」)

 パリのサルペトリエール病院の神経科医でフロイトの畏敬の対象でもあったシャルコーは、目の前の現象のくりかえしを、その意味が立ち現れてくるまで、何度でも見つめていたそうです。私たちのほんの目の前にあってくりかえされているが、私たちには本当には見えていないことがらというものがあることを、シャルコーはよく知っていたのでしょう。

 症状の一部や、私たちが癖のようにくりかえす行動の中にも、毎日のように目にしているのに、それと気づかないことがらを含んでいる場合が確かにあると思います。心理療法でくりかえし来談者の方のお話の中に現れたり、セラピストとの間で生じたりすることがらが含んでいるものが、来談者の方によって気づかれるときに、そのくりかえしがもう生じなくなるということはしばしば起こります。それは具象的なものが、抽象化への階段を一つ上がる瞬間かもしれません。

 長い時間をへてそうした静かな結節点を一つずつ越えてこられた方の多くは、今では以前より身の回りのものごとに振り回されることが減り、ものごとを全体の中に置いて眺め、その意味あいを感じながら日々の決定をし、暮らしておられるように見えます。悩みは消えていませんが、当初の悩みは今では全体の中でとらえられています。外的には以前より静かに、しかし内的にはさまざまな色あいの情緒が流れ、ものごとを豊かに感じ取っておられるようです。

 来談者の方の中に生じるこうした静かな豊かさは、その方の今後の考えや行動が生まれてくる基盤となるという意味で、現実的な価値をはっきりと有しています。くりかえしの意味が見えてくるということは、それがもう意味のないくりかえしとして永久に続いてゆくものではなくなったということであり、その方の次への展開が準備されたということだからです。生活上の具体的な変化が起こってくるまでには、必ずしも目に見えるものではない、こうした重要な変化があります。