以下のコラムは、京都いのちの電話ニュースレター第110号(2018年3月発行)に掲載された拙稿「夢見ることとその喪失」を、改題して転載したものです。
私たちは誰しも未来に夢を見る。たとえば、ある男の子は、将来プロ野球選手になることを夢見て懸命に練習に励む。またある女子学生は、大学入学後に出会った同級生に、それまで夢見てきた理想の男性像を見い出して恋い焦がれる。そのような夢は、人生を美しく彩り、心を動かす強力な原動力となる。
しかしいつしか人はその夢を喪失していく。ほとんどの子どもは野球選手になれないことを知り、また恋愛においても相手が次第に色褪せて見えてくる。そのように夢から覚めていく過程は心の痛みをもたらし、こんな風に口走ることになる。なぜ私の夢は叶わないのか、こんなはずではなかった、と。
私たちは、そうした人たちの心理援助を行うことがある。その際、援助を適切に行うためには、夢が人にどんな力を与え、夢の喪失はどのように進み、そしてそれが人にどういう変化をもたらしていくかを知っておかねばならない。
それを教えてくれる作品の一つが、昨年日本でも公開された映画『ラ・ラ・ランド』だ。この作品の主人公は、女優志望のエマとジャズピアニスト志望のセブ。二人は惹かれ合い、次第に互いの夢をすばらしいものと思い始めていく。その実現を目指している頃、彼らは天文台を訪れるが、そこで二人がプラネタリウムの星空の中で舞い踊るシーンは、この映画の佳境の一つであり、それはまさに美しい夢のように描かれる。
しかしセブが生活のために現実的な道を選び出すと、事態は変化しはじめる。些細な行き違いから口論が始まり、次第に心が離れ、いつしか恋は終わっていく。その後二人は天文台を見上げる場所に行くが、その時エマはこう口走る。「以前はもっと美しく見えたのに」。それから二人は異なる道を歩むようになり、それぞれが独自の人生を作り上げていく。
この映画は多くのことを教えてくれる。夢を通して見える世界は美しいが、それと比べれば普段の現実は色褪せて見えること。それゆえ夢の喪失は、悲しみや怒りを引き起こすこと。しかしその喪失を乗りこえれば、自分らしい生き方を発見できるようになること。それとともに夢を見て努力した日々が、美しい思い出となってその後の人生を支えていくこと。
映画『ラ・ラ・ランド』は夢の持つ力と、その喪失がもたらす成長の実相を、ストレートに描いた作品だ。その点においてこの映画は、私たち援助者にとっても大きな励ましとなる