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コラム

2023.2.5

良い加減のすすめ (北村隆人)

 以下のコラムは、京都いのちの電話ニュースレター第118号(2022年3月発行)に掲載された拙稿を、転載したものです。


 昨今、価値観の変化のスピードがとみに速くなっている。その変化を加速している一つの力がSNSの存在だ。それまで声を上げづらかった立場の人たちが、SNSを通じて社会に発信しやすくなり、その声が多くの人に届くことで社会が変化するようになっている。この変化の回路が生まれたことは、多様な人たちが互いに対する理解を深め、尊重しあえる社会をつくる上で、大きな意味があるのは間違いない。
 とはいえ変化のあまりの速さは、社会の構成員に戸惑いをもたらすことになる。それゆえ、この急激な変化を前にして、「とても時代の変化についていけないよ」と音を上げたくなっている人もいるかもしれない。
 このような時代において、私たちはどんな心持ちでいればよいのだろうか。ここで参照したいのは、ミュージシャンで精神科医の北山修の次の言葉だ。

総じて、「いい加減」は悪いものとしてとらえられ、多くがいい加減さを許さない、明確なものを求めています。しかし日本語が示すように、「いい加減」は「良い加減」でもあります。そのことを知れば、裾野の広がりと思考の柔軟性につながり、成長や健康、創造的な生き方や考え方に導かれる可能性がおおいにあるのです。
(きたやまおさむ 前田重治共著(2019)『良い加減に生きる』p5)

 この「いいかげん」は「良い加減」でもあるという指摘に注目したい。それはつまり、完璧を求めすぎると、自分や他者に過度に厳しくなり、心の健康や創造性を失うことになりかねないということだ。だから、価値観の変化に完全についていけなくとも、一人一人が自分にとっての「良い加減」な努力を続けていけばいい。音を上げて変化に背を向けてしまうより、その方が余程いい。
 だから、価値観の変化に完全についていけなくてもいい。一人一人が、自分にとっての「良い加減」な努力を続けていけばいい。音を上げて変化に背を向けてしまうより、その方が余程いい。
 もちろん、そのような姿勢をとっていると、厳格な人からは「いいかげんな奴だ」と叱られるかもしれない。しかし「いいかげん」にも良い面と悪い面があるように、どんな物事にも常に二面性が存在しており、その割り切れないところで迷いながら進んでいくのが人間だ。そのような生き方が多くの人に肯定されることによって、完璧には生きられない他者の弱さに対する寛容さが、社会の中に育まれることが期待できる。
 このことは援助者にもあてはまる。自殺予防の現場にいると、援助者はいつも全力を尽くすべきだと思いがちだ。しかしそうとばかり思い詰めると、対人援助においてもっとも大切な心の余裕を失いかねない。社会の急激な変化に圧倒されるのでなく、自分にとっての「良い加減」の努力を続け、足りないところは他者と補い合うこと。それこそが、援助を適切に行うためにも、また仕事を長く続けるためにも必要な姿勢だ。