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コラム

2024.4.14

嘘をつく本当の気持ち

以下のコラムは、京都いのちの電話ニュースレター第120号(2023年3月発行)に掲載された拙稿を、転載したものです。


 心理的問題を抱えた人の相談にのっていると、嘘が問題になることがある。たとえばアルコール依存症の方の中には、飲酒していても、その事実を知られることを恐れて「飲んでいない」と言ってしまう人がいる。こうした嘘は、当事者の言葉を信じる援助者に、「だまされた」という思いを引き起こし、支える意欲を低下させかねない点で大きな問題となる。
 援助者がこうした嘘に直面した時、念頭に置いておきたい言葉がある。谷川俊太郎さんの詩の一節だ。

いっていることはうそでも
うそをつくきもちはほんとうなんだ
(谷川俊太郎(1988)『はだか』p8)

 この一節について、別の場所で谷川さんはこう説明している。

嘘をつかれたとき、相手がどうして嘘をついたのかを考えると、嘘にかくされた本当が見えてくることがある。……嘘をつかずに生きていくことは誰にもできないのだから、嘘を自覚しながら嘘といっしょに生きていこう。
(谷川俊太郎『答えのない道徳の問題 どう解く?』ホームページ)
 
 もちろん嘘はそのまま放置していると、次第に肥大化する恐れがあるため、援助者はタイミングを見ながら嘘を指摘することも必要となる。ただその際、念頭に置きたい点が二つある。
 一つは、嘘に頼らざるを得ない人は、「嘘つき」といわれる恐怖や、嘘を暴かれる不安をいつも抱えているという点だ。そんな人に援助者が十分な配慮をしないまま嘘を指摘すれば、その人は非難されたと感じて、さらに嘘の世界に逃げ込まざるを得なくなるだろう。
 もう一つは、そうした人の嘘は、自分を守ろうとする努力の表れとしてもとらえられるということだ。読者の中にも思春期の頃、親の関与から逃れたくて、デートに出かける際に「図書館に出かけてくる」などと嘘をついたことのある人がいるだろう。そのように人は、他者から自分の心を守るために、嘘に頼らざるを得ないことがある。
 私たちは程度の差こそあれ、誰もが嘘をついて生きている。だから嘘を否定するばかりでは、嘘とうまくつきあうことができない。嘘は多面的なものであることを理解し、嘘をついてしまう人間の弱さを受け止めながら、その背後に存在するはずの、本当のことと向き合おうとするその人の部分を信じて関わる。そのようなバランスのとれた姿勢を援助者がとり続けることができれば、嘘に頼らざるを得ない人が本当のことに開かれる可能性は、少しずつ高まっていくだろう。