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コラム

2024.4.14

このままではいけない

以下のコラムは、京都いのちの電話ニュースレター第121号(2023年11月発行)に掲載された拙稿を、転載したものです。


 今年、メディアでは芸能界における性加害に関する報道が繰り返された。事件そのものの悪質さもさることながら、暗然とするのは、これほど大規模な事件がこれまでメディアで取り上げられることもなく放置されていたことだ。
 しかし半ば知っていながら知らないふりをしてやりすごしてきたメディアの姿に、私たちは自らの姿も見出しはしないだろうか。小学校で、いじめられている友達を見ながら、助けようとしなかった記憶。職場で、部下にパワハラめいた言動を示す上司を、非難することもなくやり過ごした記憶。そのように傍観者としてふるまった記憶のない人は、ほとんどいないだろう。
 加害を放置していたという自覚がもたらす苦しさゆえに、私たちはその自覚から目を背けたくなってしまう。そんな誰もが共有している弱さを描いた作品が、渡辺ペコの『恋じゃねえから』というコミックだ。
 主人公は40代女性の茜。彼女は14歳時の出来事に対する罪悪感で苦しんでいる。当時、美術教師と関係を持って苦しんでいた友人がいたが、その苦悩を知りながら茜は距離をとってしまった。それから20年以上が過ぎた今、美術教師が彫刻家となり、友人の当時のヌード写真をモデルにして彫刻を発表したことを知る。友人の心の傷をさらに抉るはずの、この事態に動揺した茜は、これまで過去の記憶を消そうとしていた自分を振り返ってこう独白する。
 
若かった頃、こうして言葉と感情をのみ込み続けて、お酒と食べ物を吐き出し続けて、そうやって10年以上かけて私は、自分の歯を逆流する胃液で溶かして、8本の歯を失った。言葉も感情もまた、自分自身が無視し続けて存在しないように扱えば、自分の中で溶けて消失していくのかもしれない。
(『恋じゃねえから』第1巻 講談社)

 友人が傷ついていることを知りながら手を差し伸べなかった罪悪感を、飲酒や過食で無かったことにする。そうした茜の弱さに、私たちの多くは自分を重ねるだろう。
 しかし、こう自己弁護したくなる気持ちが私にも動く。「苦しんでいる人もいるのは分かっている。でも私も自分のことで精一杯なんだ」。でもそうした自己弁護は、自分の心の別の部分に蓋をして成立するものだ。
 茜は先の独白の後、こう述べる。「……でもこのまま死にたくない。変われるかな、今からでも。私、変わりたい。今からでも」。この決意から物語は動き始める。
 私たちの心の中に確かにあるはずの、「このままではいけない」という思い。その思いを大切にして生きる勇気を持てば、茜のように私たちも一歩前に進めるかもしれない。一人一人がそういう歩みを進めていくことによってしか、この社会に存在している醜い現実が変わっていくことはない。