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コラム

2016.7.8

「意見」を置くテーブル (北村婦美)

人間関係の悩み 

相談に来られる方々の悩みはさまざまです。職場のこと、学校のこと、家族のこと…。お薬による治療で対応されるべき問題や、経済的な次元の問題、正しい知識を得ることで解決する問題は、当然そのように扱われるべきでしょう。けれどもそれ以外の問題の大部分は、究極的には人間関係の悩みといえるかもしれません。

あるとき気づいたことですが、非常に多くの来談者の方が、心理療法のある時点で(たいていは比較的初期に)、しみじみと同じ言葉を発されるのです。それは、「ずっと人に合わせてきた」という言葉です。

「人に合わせる」こと 

自分の気持ちを抑えて、無理をして人に合わせ続けた結果、疲れ果ててもう一歩も進めないと感じて来談される方。苦労して相手に合わせているのにまったく気づいてもらえず、失望して絶縁することを繰り返してきた方。うつ状態であったり、ひきこもりであったり、表に出ている状態像はそれぞれ違っても、来談された方々がそこに至るまでの経緯は驚くほど似ているのです。

Aさんの物語  (注1)

Aさんは、ずっとよい成績を維持しなければならないというプレッシャーを感じながら学生時代を過ごしました。幼ない頃からずっと父親が怖かったのです。父親の暗黙の要求に従わなければ恐ろしいことになると必死で勉強し有名な進学校に入りましたが、入学してみると周囲はこれまで付き合ったことのないような秀才ばかり。Aさんはその中で、相対的に中の下というポジションに置かれてしまったのです。小学校・中学校を通してクラスでは「できる人」で通ってきた自分が「中の下」になってしまったことで、Aさんを支えていたプライドは大きく傷ついてしまいました。学校に行く意味もわからなくなったAさんはだんだん登校しなくなり始め、ついにはほとんど自室にこもりきりとなってしまいます。

Aさんのお話をうかがう中で、Aさんの心には何であれものごとを「押しつけてくる」強大な存在が棲(す)んでいることが分かってきました。(それは物心ついた頃から恐れていたお父さんに由来するものかもしれませんが、現在のお父さんはむしろAさんが学校に行けなくなったことにうろたえる、一人の初老男性に過ぎないかのようでした。) 学校で友達に「○○の靴って格好いいよな」と言われると、もうそれ以外のブランドの靴はダメだと言われたようで、平気で履いていくことはできなくなります。暗にバカにされているようだし、また相手に逆らっていると見られるのではないかと、おびえるような気持ちになってしまうのです。万事がこうしてAさんに押しつけられていて、その中でAさんはとても窮屈な、苦しい気持ちで生きてきたのでした。

「命令」 

心理療法を続ける中で、Aさんはあることに気づいてゆきました。相手が言ったことは「感想」や「意見」にならず、いつもそのまま自分への「命令」になっていたことです。なぜ自分だけがそのように命令されなければならないのか、Aさんは憤りました。そしてある時セラピストである筆者に、心理療法の進め方について逆に「命令」するかのような態度をとってしまうことが生じました。Aさんは自分が何より嫌に思っていた父親のような命令口調が、他ならぬ自分の口から出てしまったことに大変驚きました。Aさんは、自分の人間関係がいつも知らずしらず「命令をする-される」、「押しつける-押しつけられる」関係になってしまうこと、その役割がときに相手との間で逆転してしまうことを、体験的に深く理解してゆかれました。

「意見」を置くテーブル  

その頃からAさんは、相手の意見は命令でなく「意見」として聞くこと、合わせるようにとプレッシャーをかけられても自動的には従わないことを意識して実行してみるようになりました。実際やってみると、服従しないAさんに嫌な顔をする人も確かにいるものの、逆にAさん自身の意思表示をこころよく思ってくれる人もいることに気づきました。「自分と相手の間に、いったんそれぞれの意見を置くテーブルが、今はあるみたい」とAさんは言います。「これまではテーブルはなくて、相手の言ったことはそのまま自分の中に、命令として突っ込まれてきていた」と。

あなたと周囲のあいだには、お互いに意見を置くことのできる、テーブル用の空間(スペース)はあるでしょうか?

(注1)
これは、筆者がこれまでうかがった多くの方のお話や心理療法の体験から紡ぎ出した物語(フィクション)であり、実際の人物や出来事ではありません。心理療法の内容はすべて、守秘義務により守られています。