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コラム

2021.5.23

たわいもない話(北村隆人)

 以下のコラムは、京都いのちの電話ニュースレター第116号(2021年3月発行)に掲載された拙稿を、転載したものです。


 昨年からのコロナ禍は、始まってもう1年を超えようとしている。ワクチン接種開始のニュースは、この長く厳しい日々に差し込むかすかな光明のように思えるが、ワクチン接種を受けない人が多いままだと、今後も流行を抑制できない状況が続きかねない。そんな状況下で、私たちはどうやって心の安定を保てばいいのだろうか。

 その一つのヒントとなる本として挙げたいのが、14世紀に完成した世界文学の古典、ボッカッチョの『デカメロン』だ。「古典」と書くと、「難しい本なのか、そんな本だと逆に気が重くなるよ」と思われるかもしれない。しかし、そうした心配は無用だ。なぜならこれは、喜劇的な物語を集めた本だからだ。

 この本は、フィレンツェ郊外のある山荘に集まった10人の男女が、10日間をかけて100の物語を話すという構成を取っている。彼らが語るのは、歴史上の偉大な人物の話ではなく、市井に住む普通の人々の滑稽な話だ。嘘をついたことがばれて、とりつくろおうとする僧侶。けちの度が過ぎて、ひどい目に遭う金持ち。不倫が妻にばれて慌てふためく男性。ボッカッチョが描き出す彼らの言動に触れると、数百年前のイタリアの人たちも今の私たちと変わらない、弱く愚かな人間的存在だったことが理解できて思わず笑みがこぼれる。

 ただ現代の私たちにとって重要な点がある。それは10人の男女が山荘に集まったのは、当時流行していたペストから逃れるためだった点だ。つまり彼らがたわいもない話に興じていたのは、ペストがもたらす死の不安を乗り越えるための努力だったということだ。そしてその話が、幾多の戦乱や危機の歴史を越えて、今日まで古典として読み継がれてきた事実は、そうした日常の人間くさい出来事を語り合うことが、私たちの心を慰める上でとても大切な営みであることを示唆している。

 私たち援助者が相談者から聞く話は、まじめな話や重い話ばかりではない。大半は日常的な出来事に関する話である。家庭や職場であったこと。うれしかったこと。失敗したこと。残念だったこと。そんな話は、対人援助に関わっていない方からすれば、あえて時間をとって聞くまでもない雑談のように感じられるかもしれない。しかし実際には、そうした話を聞いてもらえる体験は、間違いなく相談者の心を支えていく。それゆえ援助者は、たとえ日常的な報告であっても丁寧に耳を傾ける。

 だからコロナ禍が長期化しかねない現状においては、誰かとたわいもない話を交わすことが、私たちの心の安定を保つためにとても大切な方法となる。たとえ電話やオンラインを通じてであっても、そうした話はいわば心のワクチンとなって、私たちをコロナ禍のストレスから守ってくれるだろう。